rrrenkon’s diary

考えたこと、忘れたくないこと

君色シグナルを聞く

今週、スロットの新台「冴えない彼女の作り方」が公開された。原作ファンであった私は、マイルドなほぼAタイプの台と聞いて打ちに行った。-5k

この時本当に嬉しかったのが、ボーナス中に「君色シグナル」が流れたことである。

聞いたことのない人は一度聞いてみてほしいのだが、「君をいつだっていつだって」から始まる印象的なサビがやたらと耳に残りつい口ずさんでしまうメロディーだ。

ガッツリアニソンなので残念ながら万人におすすめするものではないが、中学生時代から私はこの曲、このアニメが好きだった。

 

さて、なぜ私がこのアニメを気に入っていたかと自問自答したところ、恵のようなご都合ヒロインが欲しかったのだ。

そもそもこのアニメは、主人公である安芸倫也がトップヒロインである加藤恵との印象的な出会いをきっかけに、これを題材としたギャルゲー制作を進めるというストーリーである。この時グラフィック担当、サウンド担当などの理由で別のヒロインがゲーム制作サークルに参加するのだが、恵は他のヒロインと違い、このサークルに参加している必然的理由が明示されていなかったように思う。運命的な出会いがあり、恵が主人公の考える理想のヒロイン像に合致するという理由ではサークル参加するのにも弱く、作中でも特にやることもなく主人公のそばでインスピレーションを刺激するというよくわからない仕事のようなことをしていた。この扱いがメインヒロインたる所以で、何もしなくていいからそばにいてほしい、それだけで私は頑張れるのです。という願いと、そのような女性とやろうとしている仕事を切り離せない弱さに非常に私は共感したのだ。それでいてなお、恵に対する想いを明確にせず、自分の夢であるギャルゲー制作とないまぜにして、まるで崇高なもののように扱っている。このように倫也は非常にどうしようもないやつで、それに付き合い認めてくれる、そうした寛容さとも言える母性に私は惹かれたのだ。ここで、重要なのはこちらは想いを明確にするという責任を負わずとも、理想の女性から承認が得られるということである。

君色シグナルはボーカルが女性のため、恵視点で歌われていると考えていた。しかし、トータルで見た時に倫也視点の方がしっくり来るような気がして、

何も持っていなかった私に

君がくれた心の鍵は

胸の奥で眠っていたつぼみに

春の日差しを届けてくれる

というフレーズがあるが、この何も持っていない私は君との関係性のみで自我を成立させている。パチンコつながりで大変申し訳ないが、エヴァでも、他者ありきの自我を持つものとしてシンジとアスカがいる。旧劇でシンジに行われた「誰でもいいんでしょう」というアスカの糾弾は他者を透明化し、承認を得るための手段として扱うシンジに向けたものだ。この糾弾は倫也にも、そして私にもいまだに解決できないでいる。

 

 

 

どんな大人になりますか?と聞かれた

医学生の行う病院実習では、回診に参加する、カルテを先生のものを見倣って記述する、など通常の病棟業務に加えて、先生の行う臨床に即したミニレクチャーのようなものも行われる。

 

ミニレクチャーを担当する先生方は、割と自由に授業をして下さり、羽振りのいい先生はレクチャー後スタバに連れて行ってくれることもあった。時間も自由なので、開始予定時刻の20分前に1時間延期されたり、レクチャー自体なくなることもある。病棟の先生は忙しいのだ。

 

そんな自由なミニレクチャーで聞かれることはどの診療科でも大抵、どんな患者さんを見ましたか、何を勉強しましたか、この数値はどのような意味を持ちますか、どんな検査をしたいですか、というものだが、今回のレクチャーは一味違い、どんな大人になりたいですか?と聞かれた。

私がトップバッターであったため、対策が取れず答えに窮してしまった。その場では思ってもみないことを言ってみたが、この手の質問をする先生には当然見抜かれているだろう。私は自分が大人になるということについて何も考えていなかった。それどころか、私は自分が一端の大人であるとすら思っていたし、未来の私というものが全く自分のこととして理解できなかった。誕生日を迎えればとれば自動的に大人にプロモーションすると思える年齢はとうに過ぎていて、そこには自分を大人だと思い込んでいる哀れな年寄りの子供がいた。病棟に出て、朝の回診に参加し、担当する患者を与えられ、プレゼンをし、インフォームドコンセントに参加しても私たち医学生は何一つ責任を取ることはない。もちろん、全ての決定は研修医以上の医師免許を持った人間によってなされ、医学生がそこに立ち入ることはない。病院実習に行くようになり、病棟の一員として社会に参加しているという自身への過剰評価に対して目を覚ますような質問だった。

最近回線が悪い

新年になり、スマホが変わった。これまでは大学入学祝いで両親からいただいたiPhone11を使用していたが、レンズは割れて私の撮る写真は常に激エモフィルターがかかり、バッテリーは半日もすれば無くなってしまうほどにガタが来ていた。さながら人間の老化で、私もこのように老いるのかとセンチメンタルなことを考えていたら、どうやら初売りでiPhone15を買っていただけるらしい。やはりというべきか、スマホの購入に口実は必要ないようで、じゃあ大学入学祝いは別のものを貰えばよかったと後悔が湧いてくるが、今回もご購入いただけるのでありがたく頂戴する。

カラーバリエーションを選んでよいことになった。私ははこれまで目立つこと、個性を出すことを嫌いホワイトかブラックを選んできたが、気に入らなければカバーで隠せば良いやとグリーンにした。designed by Apple in Californiaは伊達ではなく、ライトグリーンの本体を私は気に入っている。

そうしてデータ移行を済ませ、私のかつての愛機、iPhone11は下取りに出されることになった。眼は割れ、体力も無くなった彼は一体どのように利用されるのだろうか。満額に対しいくらの値がついたのか私は知らない。こうして彼は寿命を迎えたわけだが、人間の一生に対してスマホの一生はあまりに短く、フリーレンのような感情を味わうことになった。思えば、大学生となった私はずっと彼と一緒だった。病める時も健やかなる時も、私が首を括ろうとした時もムスコを握っていた時も、友人にきついことを言われるLINEも好きな子へのLINEも、今の私の大部分は彼が形作ってきた。そんな彼との別れをあのように新しいスマホに飛びつく形にしてしまったのは不本意だが、これも長命種の定めなのかもしれない。今はただ、彼の行末が安穏であることを祈るばかりである。それなりに酷い使い方をしたので彼は私のことをよく思っていないだろうけど。

初めてのブログ記事作成で思ったより時間がかかってしまった。回線の話はまた今度